つれづれ日記

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2000年
2001年12月

27日

あっという間の1年であった。インパクのカウントダウンで始まった21世紀の初年ではあったが、インパクそのものは失敗に終わったのではなかろうか

昨年末、わずか1万件に満たなかったADSLも100万件を突破。まさに、ブロードバンド元年ではあったが、コンテンツが追いつかない。来年に期待しよう。

年末になって、いままで利用していたCATVインターネットからADSLに移行した。理由は、その価格にある。CATV5500円に対して、ADSL8Mは2980円+モデムレンタル料ですむ。来年4月までは、サービス期間で1980円である。CATVインターネットは、私の場合、わずか1年9ヶ月しか持たなかった。

今年は、夏の終わりから取り組んだバーチャルプライベートネットワーク関係の執筆が脱稿でき、まずまずであった。来年も、いろいろ企画を提案していきたいものである。


2001年8月

31日

もう夏休みも終わりである。子供達が家にいる時間が長くて困った家庭も少なくなかったのではないだろうか。

ここ最近のニュースは各企業のリストラが鮮明になってきたことだ。米国のIT不況がわが国にも押し寄せて来た。IT、ITと言うけれど本当の意味でのIT化は何十年も前に済んでいるのである。パソコンの操作を覚えたくらいでは、仕事にありつけないのは当たり前。IT化すればするほど仕事は無くなるのだから。

いま物つくりの拠点はどうなっているか、ユニクロを思い浮かべるもない。物から情報と言うか、智慧にシフトした産業の創出が急務ではなかろうか。一市民の力ではどうしようもないことだが。

新しい執筆の仕事が入ってきたので、明日から気分を変えて取り組もう。

27日

ハイチがくれた夢がある

8月25日の神戸新聞夕刊(共同通信配信)に「ハイチ友の会」代表 小澤幸子さんの活動の記事が目に留まった。皆さんはハイチをご存知だろうか。1492年、コロンブスが到達した中南米最初の独立国である。小澤さんとこの国との出会いは漂流民だった。

ハイチ支援のボランティア団体「ハイチ友の会」を設立して、この三月で7年になると言う。彼女はハイチの医療の劣悪な状況を知り、自ら医師になることを決意した。文学部に入学した進路を変更して、現在医大4年生。社会にどう貢献できるか勇気ある試みをしている。 その原点は北海道南西沖地震である。

趣旨に賛同して、その日のうちにメールを入れた。

『「神戸新聞8月25日の夕刊記事ではじめてハイチを知りました。若いということは、夢があり可能性がありますね。
私も若ければ挑戦してみたいテーマです。非常に尊い志ですね。何かと暗い世相の中、このような社会貢献に尽くしている若者がいることに、ほっとしました。
金子先生のコメントも掲載されていますが、かつて私は先生の「ボランティアもうひとつの情報社会」を読ませていただきました。』

翌日、小澤さんから返信を頂いた。

「メールありがとうございました。
わたしも金子先生の例のご著書は拝読しております。私は東京で大学生をしていた当時、ご著書でも紹介されていた、アガペハウスというNGOに所属していました。私の出発は北海道南西沖地震での緊急援助です。神戸の震災のお手伝いから帰ってすぐの1995年3月に当会を設立したことを懐かしく思い出しております。
 暑い日が続きます。お体にはお気をつけくださいませ。
とりいそぎ」

ぜひとも皆さんの支援をお願いしたい。ハイチ友の会のホームページはhttp://friendsofhaiti.home.mindspring.com/である。


2001年7月

29日

最低月一回の更新を目指していたが、文字通りそのようになってしまった。

今月は近くの明石大蔵海岸での事故が痛ましい。いろんな意見が出ているが、人災といわざるを得ない。

先日、ケープタウンに行っていたOさんから、お土産が届いた。街が360度見渡せるダイナミック画像の入ったFDとケープタウンのガイドブック、そして子供にと記念切手やキャンドルも同梱されていて心使いが嬉しい。FDの画像もなかなか楽しい。

さて、今日は兵庫県知事と参議院の選挙である。涼しくなってからでかけることにする。

予想にたがわず、当日20時の<asahi.com速報>で「自民大勝、与党で過半数 本社出口調査」のテロップが流れた。国民が賢くならなければ、未来はない。


2001年6月

22日

幸いなことに、ビッグイベントに遭遇できた。というのは、大学OB会の工場見学会で超大型コンテナ船「エバーイーグル号」の進水式に参加できたことである。

進水式には陳水扁・台湾総統の妻の呉淑珍さんも参加。支綱が切られると爆竹の音が鳴り響き、鳩が舞い感動した。
写真撮影が禁止されていたので、詳細は新聞記事(ここをクリック)を参考にしていただきたい。

巨大なコンテナ船の進水式を見て、まだまだ日本も捨てたものではないと正直思った。理科離れが進んでいると聞いて久しいが、子供たちにこのような日本の技術をもっと見せる機会があればと思う。進水式の後、2時間ほど造機・造船・原子力関係の工場見学をした。

昼は見晴らしの良い12Fの食堂で「あなごのちらし寿し」を食べながら、 マスコミ関係者も交えて歓談できた。企画された関係各位にお礼申し上げたい。


2001年5月

30日

今日NTTから届いた郵便物を開封してみると、なんとモデム不足で開通が遅れたお詫びにと「世界時計」が入っていた。 ここは素直に喜んでおこう。

その後のフレッツ・ADSLだがWindows環境からLinuxに移行した。 NTTから送られてきたフレッツ・ADSL接続用CDの中にLinux用ドライバが入っているのでインストールを試みる。Linuxは対象外なのか取り扱い説明書には一切の記載がない。zipで圧縮してあったドライバを解凍した中にドキュメントらしきものがあった。不親切な記述であったが、その説明に従ってインストール終了。トラブルもなくインターネットに繋がった。

ついでにApacheでWEBサーバーを立ててみたが、思ったよりスムーズに立ち上がった。

16日

4月はじめに申し込んでいたフレッツ・ADSLが開通した。初期費用が安く、仕事のネタになるところという点で、フレッツ・ADSL にした。事前に自分で工事を行い、今日NTTが営業を開始する前にモデムとPCの電源を投入した。何事もなくスムーズに繋がった。

速度が気になるので、ADSL速度観測所で計測すると900KBPS程度出ている。まずまずである。で、辻バードさんの355Kbps動画を試してみると途中で止まってしまう。CATVでは、そんなことはなかったのに?
あれこれ考えて、PCのメモリーを64MBから128MBに増やすと、今度は停止することは無かった。速度も1.2Mbps以上出ているようだ。 メモリーは安くなったので256MBは欲しいところだ。ついでに、フレッツ・ADSLでWEBサーバーを立ててみた。URLは http://mshibata.dyn.to/ だ。

6日

花見が終わったと思ったら、小泉新内閣が誕生し、いつの間にか5月。しかも大型連休の最終日だ。この不景気の中、どこに出かけるでもなく、溜まった作業を消化していた。

明日から元の状態に戻すのが一苦労だ。新内閣には期待するものは何もない、所詮自民党の枠組みでの政治だろう。だが、自然はすごい、名は知らないがその折々の花を咲かせてくれる。


2001年4月

3日

インターネットとは何かをわかりやすく教えてくれるページがある。 総務省の通信白書 for Kid「インターネットの世界」だ。子供向けのページと先入観を持ってはいけません。実に理解しやすくお勧めです。

このサイトにある「インターネット年表」も有益で、かつて参加していたFidoNetが1983年に登場する。junetより先で、そのようなネットで空間を共有できたことを誇りに思う。

1日

新年度が始まった。
今月からペースアップしていきたいが、ちょっと仕事のことは忘れて、下の娘らと3人で明石公園まで花見に出かけた。

明石公園の入り口には、マルハの創業者である中部幾次郎の銅像が建っている。明石の出身だが下関を拠点として事業を起こしたのである。その子孫が兵庫県学生ゴルフ大会で好成績を収めていたのは、もう昔のことである。

絶好の日和となった今日、明石の桜は満開前ではあったが、比較的開いていたのが右の写真である。
剛の池ではボート遊びする人々やグループで花見を楽しむ人々が少なくなかった。
子供が小さい頃、この公園にはよく来たものだが、ゴミが少なくなっていたのは驚きである。ゴミ入れを廃止して、持ち帰りにした効果が出ているようだ。明石名物「たまご焼」を食べて帰ってきた。入った店がテレビ大阪の取材を受け、5日19時から放映だそうだ。

メールサーバーが不調で、昨日からのメールが受信できないでいる。メールを送って頂いた方には、届き次第返事しますね。


2001年3月

18日

神戸のIT講習会のその後だが、懸念していた通りだ。
詳しいことはKayさんのページをどうぞ!!

そんなことは置いといて、元気を貰うために10日にオープンしたばかりのTio舞子に出かけた。
おお、高いな!神戸の西のはずれにも100メートル級の高層ビルの出現だ。

このビルの3階にあるジュンク堂書店に行く。

明石海峡大橋が目の前に見える絶好のロケーションだ。もう、三宮のせせこましい処で本を探すこともない。一通り見て、垂水駅前の増田屋でにぎり寿司とビールで腹を満たして帰宅した。10貫で750円は安い、お勧め!

6日

春の到来を告げる、いかなごのクギ煮が始まりました。

須磨から垂水・明石あたりでは、この季節、各家庭から甘ーい香りが漂ってきます。というのは、いかなごの釘煮(佃煮)を造っているわけです。

いかなご漁は昨日解禁されました。昨日は風が強く船がでませんで、今日が実質的な初漁です。で、さっそくチャレンジして造ってみました。まだ稚魚が小さく、もう少し大きくなってからがいいようです。

食べ方ですが、熱いご飯に載せるのが一番です。酒の肴にしてもいいかな。 関東では、めずらしいですが百貨店の食品売り場には置いています。
今日の分は、まずまずです。

3日

きょうは3月3日、お雛さんの日だがうちでは飾っていない。
だんだん面倒になってきたのだろう。やがて粗ゴミゆきだな。

神戸市のIT講習会だが、まず4月と5月上旬の予定が公表された。会場はたったの5箇所、そのうち増えるのだろうが近くの小学校あたりで受講できると思ったのは甘かった。これじゃ気軽に行けないぞ。

受講可能者数4万人。公表された会場の定員と講座数から計算すると1600人。4万人消化するには2年もかかってしまうぞ。 早速、懸念したことが現実のものとなった。

こんなお役所の企画はさっさと諦めて、大学の公開講座はどうだろう。神戸は中央区にある女子大、2002年度には共学になる予定だが、1回90分のパソコン講座を12回にわたって行い、費用が破格の12000円なのだ。

昨日、政府のIT戦略本部が情報技術大国をめざす「e−Japan重点計画」案を発表した。政府が昨年決めた「超高速インターネットを5年以内に4000万世帯に導入する」という基本戦略を実現するための具体策をまとめたものだ。

所詮、机上の空論でしかない。因みに、神戸で1日よりADSLの仮申し込みが始まったが、NTTのフレッツ・ADSLはもうモデム不足という脆弱性を露呈した。日本で使われるADSLモデムは世界標準ではなく、日本独自仕様なのだ。世界標準なら価格も安く世界中から調達できる。韓国で使われているモデムは、もちろん世界標準だ。ますます世界から遅れるわけだ。


2001年2月

27日

いつの間にか2月も二日を残すのみ。

いよいよ3月から神戸でも高速ネットDSL(デジタル加入者線)の受付けが始まる。昨夜のasahi.comのニュースによれば、加入者が急増して、2月末で3万件になる模様。しかし、東高西低で8割がたはNTT東日本が占める。

実際、今月「DSLならできる超高速インターネット」を渾身の力を注いで出版したが、神戸ジュンク堂では1冊売れたのみである。類書の売れ行きも芳しくない。いったいどうしたのだろう。DSLのサービスそのものが始まっていないので、認知度が低いことは想像できるとしても、釈然としない。

3月1日発行の神戸市広報紙で、IT講習会の申し込みが告知されるそうだが、大丈夫かい?


2001年1月

29日

朝刊に共同通信のいい記事が出ていた。
高齢化率日本一である山口県東和町は、沖家室島の話である。

年寄りがみんなインターネットはじめたら寂しいとか、生きがいがないなどの言葉はなくなるのに。 」と東京に向けメールを送ったのは78歳になるIさん。

民宿を経営するMさんにパソコンの使い方を教わり「よう来たのんた沖家室」というホームページに郷土史 を伝えるコーナーを開設したそうです。

インターネットを習得せんうちに死ねんと思い、ローマ字を必至で覚えた。メールが入っているか一日に 何度も見るのが楽しみ。」とSさんも言う。

インターネットをどう活用したらいいか、この記事は暗示しているように思う。

27日
今週の初めに、仕事用に開いているWEBのプロバイダーがトラブルに陥ったようだ。
このままでは、ユーザーにも迷惑がかかるので、急遽別のプロバイダーに移転させた。
ただ新しいWEBを知らせる手段がないので困っている。とりあえず、サーチエンジンには登録をしておいた。

言えることは、PCにしろWEBにしろ、トラブルを想定して複数準備しておくことだ。

1日
21世紀になった。
インパクの大蔵海岸のライブを見ながら新年を迎えた。
繋がりにくい、画質が悪いと揶揄されそうなインパクだ。
こんな面白くないページも珍しい。いくら有名コピーライターを使っても所詮こんなものだ。
糸井さん、あんたは1101.comがふさわしい。

今年はどんな年になるのだろうか。
インターネットに関してはプロードバンドの時代に突入といえる。
しかし、いま日本に蔓延している閉塞感は如何ともしがたい。
恩師のN先生から頂いた賀状の中にヒントがあるように思う。

「このところ、”なんとなくおかしくないか日本国”
としか言えないような状態が長く続いています。
手先の手当では回復できそうもないのではないで
しょうか?最も大事なのは教育ではないかと思い
ます。手先の変更ではなく少々の時間が掛かって
も根本的に遣り直さないと望みがないのではない
かと思います。
 受験のための勉強でなく、学ぶことが楽しいと
思える様な教育
が為されることが先ずもって大切
ではないでしょうか。このようなことを通じて創造性、
独創性が発揮されるようになり、日本が世界に貢献
出来る
様になるのではないでしょうか?
 考え直しませんか教育の在り方を。今最も必要な
のはこの事ではないかと思います。本年もよろしく
お願い申しあげます。
 特異点ミレニアムをば通過せり

2000年
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