「あと十数年もすれば和包丁は高級品を除いて姿を消すかもしれませんね。」新潟県三条市で百年以上続いた包丁鍛冶の四代目細川篤さんは仕事の手を休めてつぶやいた。
三条市周辺は岐阜県関市につぐ包丁の生産地。「工場」は大きなところでも従業員二十人ぐらいの零細企業で、ほとんどは自宅横に作業場を持ち、昔ながらの家内工業的な世界だ。
職人は六十代、七十代の高齢者が多く、3Kイメージや師弟制が敬遠されてか、長い伝統の高度技能が「風前の灯」となっている。
細川さんが「三代目」の父親に付いて包丁づくりを始めたのは、高校を卒業した1956年。真っ赤に熱せられた鉄の板をコークス炉から出し入れするタイミングや、
ハンマーで打つ際の力加減など、「教科書にはない微妙なコツがなかなか飲み込めず四苦八苦。半年は切ない思いをした」。
よく親子げんかもした。次第に「大事なことは、勘と想像力を働かせて失敗の原因がどこにあるのかを
自分なりに見極めることだ、と気づいた」。物づくりの楽しさに目覚めた当時のことを懐かしそうに振り返る。頑固だった父親も十五年前に他界、一緒に働いていた叔父も引退した。
細川さんが主に作っているのは家庭用の菜切り包丁。一日に出来るのはせいぜい三十丁くらい。高級品もて掛けバブルの時代には東京の小売店では数万円の値が付き驚いた。今では、二、三千円の品ですら
単価をもっと下げろと問屋に言われる。
「良い物を作るには手間と時間がかかるが、その割にはもうからない。仕事に見合った収入にならないと若者は入って来ない。不況なので正直な話、この先は不安だ」と顔を曇らせた。それでも一度買ってくれたお客さんが「いい包丁だったよ」と再び注文してくれるのが一番の楽しみだ。
それに大手自動車メ−カーで技術者として働いていた長男が「物づくりがやりたい」と三年前に退職し、包丁鍛冶として一緒に働き始めた。大きな励みとなっている。
「仕事が正当に評価されるには、作り手とお客さんがお互いに顔が見える関係を築くしかないと思う。そして結局は良い物を作っていくしかないんですよ。」自分に言い聞かせるように繰り返した。
料理の基本は良い作りての包丁を持つことです!